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2021・11・22・走り続けて4カ月経過

更新日:

 長らく、近況報告さえ書くことができませんでした。この4カ月間を振り返ると、信じられない程、心身ともにハードでした。

 

 7月下旬に自民党総裁選挙への立候補を決意し、8月は政策の一端を纏めた著書(『美しく、強く、成長する国へ。私の「日本経済強靭化計画」』)の執筆に夜を徹しながら、昼間は各種月刊誌からご依頼を頂いたの原稿執筆やメディア出演。そして、9月は総裁選挙でした。

 

 総裁選挙時は、直前に接種した2回目のワクチンの副反応で全身の関節痛が続き、大量の鎮痛剤を1~2時間おきに服用しながら、何とか候補者討論会だけは出席するという散々な状態で、せっかく応援して下さった国会議員の皆様には大迷惑をおかけしました。

 私のメディア露出を増やそうと、様々な視察日程を組んで下さっていた国会議員の皆様のご尽力を、殆ど無駄にしてしまったのです。

 

 テレビやネット討論でも、足や手指関節の痛みを緩和するために出演直前に4錠もロキソニンを服用していたので、常に頭がボーっとしていて、司会者のご質問や他の候補者の方のご発言を瞬時に理解することができず、恐らく番組の趣旨と嚙み合わない発言をしていたのだろうと思います。

 

 奈良県の接種券を持っていても、東京のかかりつけ医の病院では病院立地地域の区民優先ということでワクチン接種を受けることができず、職域接種を待つしかなく、1回目のワクチン接種が盆明けになり、2回目の接種タイミングが総裁選挙直前となりました。

 1回目の副反応もキツかったことから2回目の接種は随分迷ったのですが、万が一、私が感染して他の候補者に感染させてしまっては自民党総裁選挙を台無しにしてしまいますので、思い切って接種しました。

 総裁選挙の最終日1日だけは副反応が改善し、かなり楽になりました。来年には3回目の追加接種が必要なのでしょうが、時期をよく考えて仕事で周囲に迷惑をかけないようにしようと思います。

 

 総裁選挙に敗れた2日後の10月1日、思いがけず岸田総裁から政調会長の仕事を仰せつかりました。

 その直後、衆議院選挙の投票日を10月31日に早めるという岸田総裁のご意向を伺い、大変な日々が始まりました。

 

 10月19日の衆議院選挙公示日から逆算して、デザインや印刷にかかる日数を除くと、10月6日までに『自民党政権公約(案)』の原稿を書き上げ、10月7日朝には岸田総裁に全文を見ていただき、同日には政調会の部会長会議でご議論いただき、修正を加え、10月8日には政調審議会と総務会でご議論いただき、党議決定をしなければなりません。

 

 10月2日の大阪出張から戻った夜から3日間、パソコンに向かって徹夜が続きました。特に岸田内閣が発足した4日は、参院補欠選挙の公認証交付式、衆議院本会議、組閣本部の陪席、同僚議員のセミナーでの講演など夜まで仕事をこなした上での徹夜でしたので、疲労は絶頂でした。

 翌5日も、6日も、朝から夜まで各種会議や同僚議員のセミナーでの講演をこなした上で、2時間程の仮眠をとって夜間に修文を重ね、6日夜に岸田総裁の秘書官に全文を送信。翌7日朝9時に岸田総裁にご覧いただくことができました。

 

 実質5日間で『自民党政権公約』1冊分の政策を書くという作業が、政調会長として最初の仕事でした。

 党本部の政調会職員の皆様も、私の就任前に各部会で積み上げられてきた政策を纏めて下さり、私が作成した原稿を整理しながら政策ごとに担当部会長と連絡を取り合って党議決定に向けた環境作りに奔走して下さり、私と同様に寝食を忘れての激務をこなして下さり、感謝にたえません。

 

 10月14日には衆議院解散。直後の16日、17日の週末から全国遊説をスタートしました。

 私自身も奈良2区の候補者ですから、19日の公示日前日(18日)までに選挙管理委員会の事前審査を受ける候補者ビラや選挙公報の原稿作成、政見放送の収録など、自らの立候補に必要な最低限の作業を、党務の合間にこなしました。

 

 以後、投票日前日の30日まで、全国遊説を続けました。

 北海道、東北、北関東、南関東、東京、北陸信越、東海、近畿、九州の各ブロックで、激戦区を廻りました。

 1日に7選挙区を廻った日もありましたが、毎日、思った以上に選挙区間の移動時間がかかり、応援要請をいただきながら廻り切れなかった選挙区の候補者の皆様には、申し訳のないことでした。

 街宣車の梯子を降りた時に右足の捻挫、連日のグータッチで両手首の捻挫と、夜間の湿布と鎮痛剤が手放せない選挙戦でしたが、何とか自民党としては良い結果が得られました。

 しかし、卓越した専門知識を持って党内の政策活動をリードして下さっていた優秀な先生方が落選されたことは、辛くてなりませんでした。

 

 また、私自身の選挙区である奈良2区の皆様には、申し訳ない限りでした。

 自分の声と言葉で政策を訴えるということが候補者としての礼儀ですが、隣の選挙区の応援に入った日に、期日前投票を済ませるとともに、奈良2区で僅か3カ所のスポット演説はできたものの、結局、自分の選挙事務所にも1回も立ち寄ることができないまま選挙戦は終わってしまいました。

 ずっと不在だった私の代わりに、市町村長、県議会議員、市町村議会議員の先生方に加え、自民党の市町村支部役員、青年局、女性局、後援会の皆様が、毎日、早朝の駅立ちや街頭演説などをこなして下さいました。

 

 10月31日の投票日夜も、党役員は党本部からテレビやラジオの出演をこなすこととなり、奈良県の私の事務所では高市早苗等身大人形を囲んで万歳セレモニーをやっていただいたことを報道で知り、申し訳ない思いで一杯でした。

 

 翌11月1日午前から役員会など党務が始まり、以後、膨大な作業量となった政調会人事、『経済対策(案)』の党内議論、予算編成に向けた各種団体や都道府県知事などからのご要望拝聴と、分刻みの日程が続いています。

 

 今週も、明日の祝日は鹿児島県出張、土曜日は兵庫県出張、日曜日は宮崎県出張と、なかなか疲れを抜く日が確保できない日々ですが、精一杯、頑張って働いてまいります。 

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